私が中高生のとき、世界史を学習したなかで、紀元前1800年ころの「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典を教わった記憶があります。これは学生時代という記憶力の盛んなときだったので鮮明に今でもよく覚えています。その後、「目には目を、歯には歯を」という文言だけが記憶として頭に残り、あたかもそれが正しい指針のように身についています。しかし、今、もう一度その文言の意味を考えてみると、紀元前1800年の野蛮な時代の言葉で、現代では到底使えないものと分かります。

私がハムラビ法典を習ったときに、担当の教師は、ひとこと「これは今では誤っている」とどうして付け加えなかったのかと思います。そして、もし私が教えるのなら、さらに「現代では、暴力で何も解決できない。話し合いで解決するのが、今の方法です。」と付け加えることでしょう。そうすれば、歴史の誤りを批判的にとらえる目が、もっと早くに養われていたはずでしょう。

今までの学校教育は、この一番大切なところに重点を置かず、歴史的な事実の羅列がほとんどで、あとは君たちの判断にゆだねますという姿勢をとってきたではないでしょうか。すべてとは言いませんが、多くの特に公教育の先生方は、そうせざるを得ない状況があったのではないでしょうか。何千年と時間の中で、無数の人たちの犠牲を払って、人類が学んだ不変的のもの、力による解決は、さらに悲しみを生むだけで、何の解決にもならない。思いやりを持った話し合いでしか解決できないこと。どうしてこのような大切なことを、学校教育の根幹としていれなかったのでしょうか。現代の日本を、いや世界をリードしている人たちの心の中に、学生時代にこれらの歴史認識と不変な真理を、哲学や宗教を通して充分に学んで刻み付けておけば、現在の日本国内や世界で起こっている様々な問題は防げたのではないかと残念に思っています。

もう手遅れかもしれないが、もし、10年、50年、100年先の日本と世界があるのなら、それを動かす人たちには、何千年の歴史の中から、人類が学んだ不変の真理を教えていかなければなりません。これが、学校の最も大きな責任であると思います。

原田 孝