アイデンティティーの成長と発達時期に関して

最近、ニュースの中で、幼児期や児童期、学童期の子どもたちに対して、特定の価値観を教え込むことの是非が話題になっています。人間の発達としてとらえたとき、そのお子さんの将来の健全な成長へ、そのことがどのように影響するかを考えてみます。

個人の判断の基準となる価値観の確立に関して、発達という観点で議論してみましょう。価値観の確立とエリクソンが言うところのアイデンティティの確立は、時期的にはほぼ同じ時期です。自立して自分で判断を下す必要があるときに、その判断のベースとなるものが、自分の持っている価値観です。では、この価値観が発達という観点で健全に育つということはどういう状態を言うのでしょうか。それは、思春期・青年期に様々な他者の価値観に触れ、自分の価値観がその中で築き上げられてゆくことが必要です。様々な価値観に触れるということは、いろいろな人と話したり、いろいろな文化に触れたり、いろいろな出来事に遭遇したりすることです。このような他者とのかかわりの中で自分のオリジナルな価値観を確立されてゆくことが健全な成長ではないでしょうか。様々な価値観の中には、反社会的なものも当然あります。しかし、普遍的な価値観、つまり、正義や愛、思いやり、平等等に重きを置いて取り入れてゆくように、育つ環境を整えるのが、学校教育や家庭教育の役割であるはずです。

では、思春期以前を考えてみると、幼児期・児童期・学童期はまだまだアイデンティティは未発達であり、価値観も未熟です。その時には保護者の価値判断で、様々な困難やストレスから守られていることがほとんどです。では、この時期の真っ白に近いアイデンティティとそのベースとなる未熟な価値観に、大人の価値観を無理やりに刷り込むことはできるのかというと、それは実はいとも簡単なことなのです。その価値観で構成された世界に常に身を置くこと、そしてその価値観以外に接することがなければ、それを自分のものとしてアイデンティティが完成されてゆきます。言い換えると洗脳という行為にあたるかもしれません。

過去にオーム真理教事件がありましたが、この事件は現代の学校教育の弱点を浮き彫りにした事件でもあります。学力や偏差値を価値基準においた偏った教育がなされてきたおかげで、アイデンティティの確立が不十分である子どもたちがたくさん生まれました。その子どもたちに対して、強烈なカリスマ性のある価値観を持つ人物から、その価値観の刷り込みがなされた結果、子どもたちは自分のアイデンティティをその人物のアイデンティティと共鳴させ、いや、それ以上の同一化をしてしまって、その行動を操作されたのです。これも刷り込みと洗脳ということになります。

このように、未発達な自我が大人の都合で利用され、健全なアイデンティティを確立されずに、大人に都合の良いアイデンティティを作り上げられるということを歴史的に見てみれば、実はしばしばみられるのです。そして、これが行われるときは戦争の予兆なのです。

これの反省のもとに、作為的なゆがんだ教育を排除し、健全な教育をさらに実践してゆかなければならないとしたのが教育基本法でしょう。しかしながら、それを実践する方法がいかなるものか、まだ、現代の公的な教育機関ではまだ考察し切れていないのが現状ではないでしょうか。10年後、20年後、100年後の平和な世界を目指して、なすべきことは見えているのですが、それを実践に移している人は少ないのが今の教育界です。